ハーブティーの歴史ープロローグ

ハーブティーはどのように進化していったのでしょう?

植物を乾燥させて、お湯で煎じて飲むものがティーです。

広く飲まれているのは。ツバキ科のチャノキを原料にした紅茶や緑茶、烏龍茶。コーヒーも植物の種子を煮だすので、広義にはティーに含まれます。

東洋発祥のチャノキから作るティーは、紀元前2700年頃、中国大陸の農業の祖先、神農があみだしたともいわれています。最初は薬だったと思われますが、その後は味や香りを楽しむ嗜好品として、シルクロードを通ってヨーロッパ大陸まで、世界的に広まっていきました。

一方でさまざまな植物を身体に取り入れて健康を保とうという考え方も、紀元前に生まれました。ハーブから薬効を得ようとするのは5000年以上の歴史を持つインドの伝統医学、アーユルヴェーダをはじめ、様々な文化圏でみられます。

また植物に薬効を身体に取り入れるために、生のまま食べるだけでなく、植物油に浸して成分を抽出するなど、さまざまな手法が生み出されました。保存や運搬のために乾燥させるという技術も生まれました。

ハーブティーの歴史に大きな影響を与えたのが紀元前460年頃に現れ、古代ギリシアで医学の祖と呼ばれたヒポクラテス。
彼は260種類以上の薬草から、400種類を超える処方を編み出しました。その中にはハーブを水で煮だして飲むという、ハーブティーの元祖というべき記録もあります。彼はハーブを体系的にまとめ、医学、薬学の基礎をまとめたのです。

古代ローマではハーブの研究はさらに進みました。地中海を囲むように発展した帝国ならではの多民族・多文化の時代は交易も盛んに行われました。

しかしその後、長くヨーロッパでのハーブ研究は滞ることになります。原因はキリスト教の広まりでした。紀元380年にローマ帝国の国教となったキリスト教では、病気を神からの戒めであり、薬学や医学を含めた科学は魔術や呪術と同じ異端の教えだと考えたのです。そのため、ハーブによる治療や研究は一部の修道院でのみ行われる、閉鎖的なものになりました。

キリスト教の教えによって多くの薬草師が迫害され、8世紀から数百年、ヨーロッパでは薬効を求めるためのハーブの研究は停滞しました。ただしそんな時代でも1346年にイタリアから西ヨーロッパで猛威を振るった黒死病(ペスト)の大流行では、ハーブを使って効果を上げた、という例もあります。

11世紀から始まった十字軍の遠征では、それまで知られていなかったハーブがヨーロッパに持ち帰られました。さらに15世紀からの諸国がこぞってアフリカやアジア、さらには新大陸と呼ばれたアメリカへ船を派遣するようになりました。これが大航海時代の始まりです。そしてスパイスをはじめとする世界各国の特産品がヨーロッパで珍重されるようになりました。

東洋の特産品の一つが、チャノキの葉から作る茶でした。すでに中国大陸やその貿易の窓口でもあったマカオ、そして日本では茶を味や香りを楽しむ習慣が広まっていました。嗜好品としての茶がヨーロッパに伝わったのは17世紀のことです。東洋とヨーロッパの茶の貿易は巨大な利権になっていきます。オランダとイギリスはこの茶の貿易を巡って対立し、ついには英蘭戦争(1672〜74年)まで勃発したほどでした。

16世紀から始まった宗教改革によって、修道院に独占されていたハーブの知識が、庶民にも伝えられるようになりました。薬効を求めるだけでなく、フランスではハーブから香水を作る技術も発達し、ハーブの研究が盛んになっていきます。ハーブガーデンや植物園が作られ、ハーブを育て、効率よく収穫できるようになりました。

時代が流れると、天然素材や合成素材を使った医薬品が台頭し、薬効を得るためにハーブを煎じて飲むという習慣廃れて行きます。さらに近代になるとコーヒー、チャノキから作る紅茶、緑茶、半発酵茶などが嗜好品として発達し、味や香りを追求しながら世界中に広まりました。その結果、嗜好品としてのハーブティーの需要は少なくなりました。

しかし20世紀後半になると医療現場から近代の医学、薬学だけでなく、東洋医学など伝統的な療法を加えた統合医療という考え方が生まれました。ここで重視された要素の一つがハーブ、特にそれを煎じて飲む、ハーブティーです。薬草を摂取するための手段ではなく、材料の違いによる香りや味、さらに色を楽しむ嗜好品としても、種類が多く、個性がはっきりしているハーブティーの魅力が見直されました。

ハーブをブレンドするのはもちろん、チャノキの茶と混ぜるなど、さまざまな手法によって、ハーブティーは進化を遂げているのです。

(文責 橋口)

 

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